なぜ西陣カーボンは生まれたのか? 西陣カーボンの歴史
西陣カーボンを初めて目にした人は、その斬新さと美しさに衝撃を受けます。西陣織を身にまとったときの心の豊かさを、カーボン繊維を使うことで工業の域にまで広げた人とは? 今回は、西陣カーボンの歴史を振り返りながら、西陣カーボンの未来についてお話しします。
1.西陣カーボンの生みの親とは
西陣カーボンの生みの親は、西陣織の伝統工芸士である福岡裕典氏です。現在、有限会社フクオカ機業の代表取締役を務めています。1970年に京都に生まれ、幼少期から西陣織に親しみました。2012年には西陣織製織部門において伝統工芸士に認定されています。
フクオカ機業は、1902年に創業してからジャガード機の導入など西陣織の伝統を守りつつ、積極的に新しい技術導入を行っています。2018年には、西陣カーボンに使用しているカーボン繊維やアラミド繊維などの技術開発が評価され「はばたく中小企業・小規模事業者300社」 に選定されています。これは、長い歴史ある西陣織を新しい技術と組み合わせることで西陣織の需要に大きく貢献したことが評価されました。
西陣カーボンの生みの親である福岡裕典氏は、幼い頃から西陣織に親しむことで西陣織への愛と技術力を深め、西陣織を京都から世界に羽ばたかせたのです。
2.西陣カーボンが生まれた背景
西陣カーボンは、西陣織から進化した新しいものです。西陣織は、平安時代から伝わる伝統的な織物ですが、江戸時代の大火事や宮中儀式の改めなどにより、何度も危機が襲いました。洋服が日常着になってからは、織元は最盛期の10%程度まで激減しています。それでも西陣織を守る織元は西陣織に新たな可能性を吹き込むことで西陣織の伝統を守ってきたのです。
そのような中で、フクオカ機業の福岡裕典氏は西陣織にカーボン繊維を取り入れました。カーボン繊維と絹糸とでは、太さも質感も全く違い、ただ単に材料を変えただけではきれいな織りにはなりません。カーボン繊維と西陣織の組み合わせを可能にした要因は、まぎれもなく職人たちの経験と技術力です。
そして、西陣カーボンが成功したポイントは業界の壁を越えたことにもあります。西陣織は、分業が伝統でした。それぞれの工程に専念することでより技術力を高めることができたのです。しかし分業の範囲は「西陣織にたずさわる範囲」に限られていました。西陣カーボンは、さらに樹脂加工という今までにない範囲まで広げ、インテリア業界や自動車業界にまで西陣織そして西陣カーボンの用途を広げました。
西陣カーボンを反物にするまでの重要な工程はフクオカ機業で一貫して行うことで西陣織の質と伝統を守っています。西陣カーボンは、長い歴史の中で西陣織が行ってきたように歴史を守りつつ新しい技術を取り入れることで生まれたのです。
3.西陣カーボンのこれから
西陣織に限らず、伝統的な技術は人から人へ継承されることが大切です。西陣カーボンの技術は、若い職人たちに着実に受け継がれています。
西陣カーボンは、カーボン繊維と組み合わせることでカーボン繊維がもつ実用性に「美」を加えました。繊維は日々進化しています。吸湿発熱する繊維、太陽光で発電する繊維、高温に耐える繊維など人間の活動と繊維は切っても切れない関係です。実用的、効率的な繊維に西陣織という「美」を加えることで素材は芸術になります。
西陣カーボンのこれからは、伝統と進化、そして挑戦によって無限の可能性を秘めています。
4.おわりに
西陣織の歴史は古く、西陣カーボンの歴史は新しいです。しかし、西陣カーボンの歴史は西陣織の歴史あってのものです。温故知新という言葉がありますが、西陣カーボンはまさに温故知新の賜物です。