西陣カーボンの歴史
日本が誇るカーボンの歴史
カーボン繊維とは何か?日本語「炭素繊維」となり洋服や着物の様な繊維の一種となります。
電球で有名な発明王トーマス・エジソンが電球のフィラメントを作るときに1800年代(19世紀)に発明されました。それから2世紀の間に進化を遂げたカーボンは強度を増し、軽くて強い素材として知られていました。
日本では1959年に大阪の試験所の進藤昭男博士が、かんたんに加工できるカーボン繊維を発明。これにより世界中でもどんどんカーボン繊維の需要は広がっていきました。
重さは鉄の約1/4なのに強さとアルミの約3倍の強度。そして変形しにくい夢の素材としてアポロ計画のロケットや、ボーイング社のジャンボジェットのボディに使用されることで世界中で広く使われるようになりました。
西陣織との出会い
カーボン繊維の特徴として、炭素の特徴でもある「黒い色」と、加工の難しさがあります。
京都に古くから伝わる西陣織は、5、6世紀頃、大陸からの渡来人により今の京都あたりに住みついて、養蚕と絹織物の技術を伝えたのが起源と言われています。西暦2000年ころよりフクオカ機業では伝統と新技術の特徴を生かした新しい織物ができないかとカーボン繊維を西陣織でおることに挑戦しました。
幾多の失敗を繰り返しながら、ついにカラフルで西陣織の柄を織り込むことに挑み続け、2005年、歴史をもつ西陣の機織り技術を生かして黒い色と西陣の柄を織り込むことに成功しました。
ミライをつくる「西陣カーボン」
カーボンの利用は私たちの生活に深く溶け込んでいます。車の内装、旅行用スーツケース、スマートフォンカバーなど、我々の生活から宇宙産業まであらゆる業界に広がっています。