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西陣カーボンの「西陣織」とは

西陣カーボンの「西陣織」とは

西陣カーボンの「西陣織」とは

西陣カーボンの西陣は「西陣織」を意味しています。西陣織という言葉は知っていても、西陣織がどこでどのようにして生まれ、現在に引き継がれているのかを知っている人は少ないのかもしれません。今回は、西陣カーボンの要でもある西陣織について詳しく解説します。

1.西陣織の歴史

西陣織は京都で生まれました。京都は、794年の平安京から始まり、現在でも歴史ある建物や寺院が残る場所です。西陣織が生まれるきっかけは、応仁の乱にあります。応仁の乱は、1467年から始まり11年間続いた長い戦いです。長い戦いの中で、京都の織物職人たちは京都を一時的に離れます。しかし、応仁の乱が終わると再び職人たちは京都に戻り、織物を立ち上げたのです。立ち上げた場所が応仁の乱のときの「西の陣」だったため、西陣織という名前になりました。

西陣織が始まってから510年以上の月日が流れています。長い歴史の中ではさまざまな試練がありましたが、西陣織は品格と歴史を守りながら今でも日本が誇る伝統的工芸品です。

西陣|応仁の乱
京都|西陣|西陣カーボン

2.西陣織の原材料

西陣の絹糸

西陣織のほとんどは絹が原材料です。絹は、蚕の繭から作られる動物繊維です。繭をお湯に浮かせて糸をまとめながら1本の糸に紡ぎます。絹糸の特徴は、天然繊維では珍しい長繊維であることです。1個の繭から1500mほどの連続した繊維をとることができます。絹糸は、細いたんぱく質(フィブロイン)が集まっています。細いたんぱく質(フィブロイン)の中には、さらに細かいたんぱく質(フィブリル)が集まっています。このような細かい構造が光を複雑に反射し、絹独特の光沢を生み出し、さらには西陣織の華やかさと品を生み出すのです。

西陣織は、絹糸をさまざまな色に染めて糸を作ります。江戸時代までは、天然の染料が使われていましたが、明治時代になると合成染料が使われるようになりました。合成染料は天然染料に比べて扱いが楽であることから、現在のほとんどの西陣織では合成染料が使われています。

色とりどりの西陣織|西陣織

3.西陣織の織り方と種類

西陣織の織り方には種類があります。中でもとくに有名な織り方をいくつか紹介します。「つづれ」は、横糸が縦糸を包むようにして織る織り方です。縦糸が外からは見えません。「錦(にしき)」は帯に使われる織り方です。錦には、経錦(たてにしき)と緯錦(ぬきにしき)があり、緯錦は横糸を使って細かな柄を織りだすことができます。

「風通(ふうつう)」は、多層織ともよばれています。表と裏で違う糸を使い、表と裏では反対の柄が出るように織ることができます。

「緞子(どんす)」は、絹糸の光沢をいかした織り方です。糸の目がギュッと詰まっているため、厚みを出すことができます。

「ビロード」は、針金を横に織り込み、あとから針金を引き抜く織り方です。針金が入っていた箇所の糸が浮き、輪になる織り方です。

このように一言で「西陣織」と言っても織り方で表情はガラッと変わります。紹介した以外にも西陣織にはたくさんの種類の織り方があり、そのどれもが伝統的工芸品として高い評価を受けているのです。

4.西陣織の魅力と特徴

西陣織の魅力は、長い歴史で培われた高い技術です。西陣織の技術が高められた理由は「分業」にあるのかもしれません。西陣織の分業は、江戸時代に始まったといわれています。分業とは、図案作成から織る仕上げの作業までを大きく5段階20以上の工程に分けて進めることです。細かく工程を分けることで、それぞれの工程を担当する人たちが、それぞれの技術を専門的に高めました。その結果、西陣織は高い技術を持った職人の集団として発展したのです。

現在は、築き上げた高い技術を引き継ぎながら、新しい技術を取り入れて時代に合った西陣織を展開しています。西陣カーボンは、高い技術を持った職人集団によって生み出され、それぞれの用途に応じた加工業者に引き継がれていきます。

京都の伝統|歴史

5.おわりに

多くの伝統的工芸品が時代の流れに流されていく中で、西陣織は現在も伝統的工芸品として確固たる地位を守っています。これは、西陣織が多くの工程を必要とするものでありながらも、柔軟に新しい技術を取り入れて時代に応じてきたからではないでしょうか。

西陣カーボンは、西陣織に新たな材料を用いるという一歩を踏み出しました。時代が変わっても「美しいものを美しい」と感じる人の心は変わりません。西陣カーボンは、平安時代から受け継がれた人の心を守りながら、新しい西陣織を提案いたします。

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